ゲリラ闘争記 -Guerrilla Struggle Diary-が販売開始

このブログのテーマ曲として作った「ゲリラ闘争記」の英語バージョンをイギリスのMyFirstSingleがプロデュース。iTunes Store他で販売が開始されました。インスタグラムに投稿したのがきっかけでMyFirstSingleのファウンダーJoeに見つけてもらってリリースしたデビュー曲「エキストラたちの咆哮」に続くセカンドシングルです。プロデューサーのBobに「次は英語で歌えよ」という問いかけを真に受けて本当に英語で歌ってみました。ハーモニカも吹いてボブ・ディランのようなスタイルになっています。

対訳は以下です。

“Guerrilla struggle diary”   words and music by Keiji Ikeda

Somewhere in the world We face the history

Find out words that inspire me Continue to fight constantly

 

Let’s keep fighting without fear

Living now becomes history

 

Unleashed from the chain of domination We are going to live

If it is a world that is unreasonable Keep on fighting without hesitation

 

Let’s keep fighting without fear

Living now becomes history

 

「ゲリラ闘争記」-Guerrilla Struggle Diary-

作詞・作曲 池田敬二

世界のどこかで 俺たちは歴史と向かい合っている

自分を奮い立たせる言葉を探し出して 絶え間なく闘い続けるんだ

 

恐れることなく闘い続けるよう

今生きることが歴史となる

 

支配という鎖から解き放たれて俺たちは生きていく

理不尽がまかり通る世の中だとしたら迷うことなく闘い続けるんだ

 

恐れることなく闘い続けるよう

今生きることが歴史になる

以下のストアで販売開始

tunecore:池田敬二「ゲリラ闘争記」-Guerrilla_Stuggle_Diary-

インスタにオリジナル曲の動画を上げたら世界デビューしました

2017年6月22日にインスタグラムに作詞・作曲した「エキストラたちの咆哮」という曲をアップした。ライブハウスがマイクを解放して自由に参加できる「オープンマイク」というムーブメントが世界中で展開されているが私も練馬のBE born 所沢のカフェ来遊留のオープンマイクに参加するようになり、このスリリングな感覚や感じたことを曲に封じ込めたいと思ったらすぐにこの曲は出来上がった。

ハッシュタグによって世界中からいろんな反応がくることをすでに体験していた。フォロワーではなくてもハッシュタグを駆使することによって、たとえ日本語で歌っていても、思いがけなく世界中に拡散していくのだ。この時に使ったハッシュタグは以下。

#singersongwriter  #songwriting  #singer  #singers  #歌  #歌うたい  #オープンマイク  #gibson  #gomixer  #gibsonj45  #ギター弾き語り

すると世界中のアマチュアミュージシャンを対象にプロフェッショナルなレコーディングを提供するイギリスの音楽制作サービスMyFirstSingleの公式アカウントからコメントがあった。

“Awesome job, you have a great voice, is your music original?”

そして何度かメッセージのやりとりを重ねた。スカイプのような通話サービスであるZoomを使って何度も何度も丁寧にミーティングを重ねた。

「エキストラたちの咆哮」のコード譜を送り、アレンジされたサウンドトラックが送られてきた。どんなサウンドになるか全く予想がつかなかったが初めて聴いた時、全身が震えるくらいに感激した。このサウンドトラックに合わせて自宅のマンションでボーカルを収録してデータを送信。レコーディング用のコンデンサーマイクも銀座のYAMAHAで購入しておいた。9月2日にマスタリングされた最終バージョンの音源が届いた。ミキシング、マスタリングもプロの手にかかると文字通り、音が生まれ変わる。

せっかくなので販売してみようと思った。今は個人でも世界中に音楽を販売することが可能だ。ディストリビューションを代行してくれる会社の中からTuneCoreというサービスを選択。シングルで年間利用料は税別1,410円。日本国内25のストア、世界120ヶ国以上(2018年2月9日には187ヶ国に拡大)に配信できる。申請から35分で許可がおり、2017年9月3日から続々と世界中で配信がはじまった。すでにTuneCoreには日本と英語で私のページができている。

ツイッターでエゴサーチしてみると発売初日の深夜にMP3ダウンロードランキングで国内2位だったようである。このことをイギリスのMyFirstSingleのスタッフに伝えると彼らも大喜びだった。

世界各国のiTune Store、Apple music、Amazon music、Spotify、Google Play music、日本国内でもLINE MUSIC、ドコモのdミュージック、music.jpストア、楽天ミュージックなども配信が開始。

プロデューサーのBobからZoom ミーティングで「次回は英語で歌えよ!」と言われ、準備に入っている。

風水思想とボブ・ディラン

2016-10-14-19-52-54ボブ・ディランが2016年のノーベル文学賞を受賞した。

平成三年(1992年)の大学時代に恩師である渡邊欣雄先生のゼミで「風水思想のコスモロジー」というレポートを提出した。

熱く風水思想とボブ・ディランについて書いた記憶があったので探してみた。手元にコピーが残っていたので引用します。

最後にゼミのレポートとしては適していないかもしれませんが、アメリカのシンガーソングライターであるボブ・ディランの「風に吹かれて」(Blowin’ in the wind)という1960年代に黒人の公民権運動やベトナム反戦運動のテーマソングであった曲について述べておきたい。20歳という年齢とニューヨークの街と公民権運動、ベトナム反戦運動との出会いが産んだ曲だ。今からちょうど30年前の1962年にディラン自身が作詞・作曲した。

この曲のモチーフになっているのは、人生、政治、戦争、大自然などについての疑問を投げかけ、「友よ、その答えは風の中にある」と各連の末に言い放つというもの。渡邊欣雄先生のもとで風水思想について学ばせていただいている間、いつも私の頭の中でこの「風に吹かれて」が流れていました。こうして「風水思想のコスモロジー」と題して考察を進めていくと、やはり「風水」と「風に吹かれて」は根底でつながっているように感じています。そしてこの「風に吹かれて」が洋の東西を問わず、世界中の人々に愛聴され、受け入れられたということに、今後のエコロジー思想も含めて、一条の希望の光が見て取れるように感じています。

 

 

「加速する変動」キューバのドキュメンタリー映画との邂逅

1989年にはじまった山形国際ドキュメンタリー映画祭は隔年で開催される。

今年は開催年ではない代わりに「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京2016」新宿K’s cinema城西国際大学で9月17日(土)から10月7日(金)まで開催している。

学生時代に専攻していたのが異文化研究である文化人類学だったこともあって、テレビのドキュメンタリー番組やドキュメンタリー映画にもともと興味を示し、在学中の1990年代から「ラテンアメリカ映画祭」と銘打った映画祭を見つけては足繁く通っていた。ラテンアメリカの近現代史や「現在(いま)」を注意深く掘り下げることによって「先進国」と呼ばれる国々の傲慢さや世界的な搾取、不平等、矛盾などが明確に映し出されるようになるはずだという直感があった。

昨年の山形国際ドキュメンタリー映画際にも足を運んだがすべての作品を観ることなど不可能に等しい。(ちなみに私が昨年、山形で見た中でのベストは最優秀賞を受賞したチリ映画の「真珠のボタン」。)

だから、こうして山形で出会えなかったドキュメンタリー作品を開催年の翌年に東京で出会うことができるのは貴重な機会だと思って胸が高鳴った。

2016-09-25-16-20-08そして本日、出会うことができたのが「加速する変動」(Accelerated Development – In the Idiom of Santiago Alvarez  )だった。山形国際ドキュメンタリー映画祭では1999年のインターナショナル・コンペティション作品として上映。2011年の山形、2012年の山形 in 東京でも上映。1969年北米コロラド州デンバー生まれのトラヴィス・ウィルカーソン監督がキューバを代表するドキュメンタリー映画作家サンチャゴ・アルヴァレス(1919年〜1998年)の生涯を通 して、キューバだけでなく、ベトナム戦争やアメリカの黒人差別問題など激動の20世紀を描いている素材を使って激動の20世紀を映し出している。音楽の躍動感、リズムと共に常に政治的で時に教示的な 映像が繰り返し観客の心にこれでもかと突き刺してくる。

キューバ映画はドキュメンタリー映画といえども音楽の魔力を存分に活用しているものが多い。この作品もまさに音楽、リズムをフルに活用している。音楽がなかったらこの映画のインパクトは半減していたことだろう。この明るくリズムカルでありながらどこか物憂げで悲しくも感じられる音楽がこの映画に力を与えている。この作品は映画学校などでも教材として使われることが多いようですが末長く、世界中で観られることとなると確信します。映画作品との出会いは、まさに一期一会。生涯忘れないような作品に出会えたことに感謝の念を噛み締めています。

 

 

独立メディア塾がもたらすムーブメント

これまで独立メディア塾というサイトには二度寄稿する機会に恵まれました。

作家 佐藤泰志の光と影が示すもの
http://mediajuku.com/?p=2344

現代によみがえるボリス・ヴィアンのシャンソン「脱走兵」
http://mediajuku.com/?p=3252

本日、2016年1月21日に独立メディア塾のパーティーが開催された。
執筆したもの同士がリアルに語り合える貴重な場である。

思いがけず、オープントークに執筆したボリス・ヴィアンの原稿でオープントーク部門の優秀賞を受賞するという幸運に恵まれた。

既得権益の仲良しこよしのネットワーク以外は「敵」とみなすのではなく、あくまでも市民の評価を主軸にし、作品の評価システム、映画化になった際の資金調達の方法なども絶望的に思えたものが「クラウドファンディング」なども浸透してきた。

どんな作品でも猛烈に情熱があり、その情熱を集積することができれば大きなムーブメントを生み出す可能性もある。

型破りな作品が発表され、日本中の「読み手」たちにこの上ない、スリリングな体験を提供できれば継続的な注目を獲得することも可能なはずだ。

そうしたムーブメントの先に見えてくる人間の創造的な活動に想いをはせる。

 

ドキュメンタリー映画への期待 〜原一男塾長 new CINEMA塾 終了〜

3月28日(土)の最終回で昨年の4月からはじまった原一男塾長のnew CINEMA塾は終了した。皆勤賞ではなかったが都合がつくかぎり水道橋のアテネ・フランセに足を運んだ。これまで出会うことのなかった貴重なドキュメンタリー映画に出会うことがきたのは幸運な経験であった。年間を通してのテーマは「極私(セルフ)の系譜〜映像の中の欲望(わたくし)たち〜。

特に印象的だった作品を上げるとすると以下になる。

「ファザーレス」(茂野良弥 監督  村石雅也 主演)

「アヒルの子」小野さやか監督)

あんにょんキムチ」(松江哲明監督)

「家族ケチャップ」(工藤義洋 監督  牧野吉高 主演)

もともとこの講座に関心をもったのは2014年6月28日に開催された第三回「父との会話」というテーマでヤン・ヨンヒ監督の「ディア・ピョンヤン」が「エンディングノート」(砂田麻美監督)と共に取り上げられると知った段階で年間受講の手続きを済ませた。

私自身、実は大学卒業時に志望していた就職先はドキュメンタリー番組を作るためにNHKに入局することだった。社会人になってから今現在発病しているチェ・ゲバラ熱の萌芽が学生時代にあって、在学中に開催されたラテンアメリカ映画祭でエイゼンシュテインの「メキシコ万歳!」やブラジル映画「ピショット」を見て衝撃を受けたのがきっかけだった。ラテンアメリカを観ることで現代社会の実態、虚像が裏写しされるように感じ、それは象牙の塔的な学術的アプローチではなく、まさにドキュメンタリー映画の手法で現実社会に迫ることができるように当時の未熟な自分自身の浅はかな将来の展望だった。 2015-03-29 21.24.34 学生時代に購入して今も手放さないでいる書籍の中に「ゆきゆきて神軍」(原一男・疾走プロダクション  話の特集 1987)がある。ドキュメンタリー映画の金字塔と言われる「ゆきゆきて神軍」を学生時代に観た衝撃は今も忘れない。当時から原一男という存在は自分の中で大きな存在であった。

最終回にかわなかのぶひろ監督が胃がん、咽頭がんの手術を経て、十分に声がでないような状態でふりしぼるような声で語っていたことが印象的でした。

「画家が毎日デッサンするように、音楽家が毎日演奏するように、小説家が毎日文章を書くように、映画監督である私はこれからも毎日映像を撮影し続けていきます。」

表現者として生きるなら、「芸術家」(アーティスト)としての奢りよりも、この「職人」(アルチザン)的な日々の鍛錬というものがいかに大事かということを再確認した想いでした。 ドキュメンタリー映画というものは商業的に大成功することはどう考えても少ないでしょうから生涯を通じてやり抜いていくには生半可ではない強靭な覚悟がないと続けていくことはできない。自分のように志半ばですっかり別の道に進んでしまったものは、あくまでも「観る」側でしかありませんが、日の当たる場所では決して知ることができない、観ることができない「現実」を映画という表現手段の中に結晶化させるドキュメンター映画の数々は、今後も人々に重要なビジョンを与えてくれると期待している。私自身も受けた感動、衝撃、怒りを自分のフィールドの表現に爆発させていく決意を新たにいたしました。

性の文化人類学(3)エロティック・コード

あらゆる文化には、性衝動を高めるエロティック・コードなるものが存在する。つまり文化が異なれば何をもってエロティックと感じるか、身体の中でどこを露出すると性的に高揚するかはそれぞれ異なるのである。さらにいえば同じ文化体系の構成員であっても個人差による多様性が生じる。

たとえば日本においても欧米においても兄弟と姉妹が共に食事をとることはいたって「ノーマル」に思えるばかりか家族みんなで食事をとることは家族の平和や絆を象徴しているとされ思える。しかしある社会では共食という行為が夫婦関係の特徴として受けとめられ、夫婦以外の異性との共食は許されず、兄弟と姉妹が共に食事することは近親相姦を連想するものだとして忌避されている。さらに夫婦の共食であっても客人の前では控えるという社会もある。

また身体的な部位によるエロティック・コードによる違いでいえば日本においても欧米社会でも女性の乳房は性的な意味合いを多分に含んでいるが、ニューギニアをはじめとして女性が乳房を露出している社会も多くある。つまり乳房は愛情表現や前戯のための部位ではなく、赤ん坊や育児を連想する身体部位であるとされる。またサモアでは臍に性的高揚を感じるためにビキニ姿の女性などはありえないということになる。一方、イスラム社会のように女性は顔まで覆い隠すような社会もあるし、日本や欧米ではスラックスをはいた女性はスカート姿よりも活動的であり、男性的なイメージで受けとめられることが多いと思われるが、女性の尻、脚線といった身体の形態がスカートよりも強調されるのでスラックスの方がエロティックな服装として小中学校の女性教師はその使用が禁じられている国もある。

日本や欧米では性的魅力を高めようと様々なダイエットが半ば脅迫的に喧伝されたり、スリムな身体であることが魅力的であるとということが前提の価値観になっているようにも感じられる。しかし豊満な身体の方が魅力的であるとする社会では青年期の女性たちが小屋の中に入り、カロリーの高い食事を無理にでも摂取して「魅力的」な身体になろうとしたり、イスラム社会の中では直接オリーブオイルを飲むようなところもある。

こうしたエロティック・コードの違いは文化や社会による違い、つまり共時的な違いばかりではなく、通時的、つまり時代によっても大きく変遷をとげる。たとえば日本の浮世絵や春画を見ても現在のエロティック・コードの尺度から見ると違和感を感じるし、西洋においても数世紀前の絵画に描かれた女性たちは現在の理想的と言われる身体よりも豊満な姿が多いように感じる。

こうしたエロティック・コードがどのように社会で扱われ、モラル、規範といったものが法制度や宗教に組み入れられていったのかというのも興味深い。次回はキリスト教を題材に考察します。

2015-03-22 11.39.44「現代」(1995年3月号 講談社)
特集  性の人類学 読み出したら止まらない知的興奮!

アメリカ合衆国とチェ・ゲバラ

2015-03-04 14.15.49-2電子書籍で読了しておりましたがいちばん大好きな本屋さん、神楽坂かもめブックスで「チェ・ゲバラ伝」増補版(三好 徹 著 文春文庫)を購入した。

さすが増補版だけあって「コンゴの日々」が加筆され、さらにチェ・ゲバラが1959年にキューバ使節団として来日し、広島の原爆慰霊碑に花束を捧げる写真も掲載されている。

その際ゲバラは、日本人スタッフに英語でこう言った。

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹がたたないのか?」

2013年にユネスコは世界記録遺産として「エルネスト・チェ・ゲバラの生涯と作品」の登録を発表した。

アメリカ合衆国は、すぐさま世界記録遺産登録に強く反対する声明を公表した。

理由は、チェが無数の無実の人々を拷問し殺害したからだという。

その言い分は間違いなく見当違いであろう。
アメリカ合衆国が主張する罪状に当てはまるのは、彼らが「味方」としていたラテンアメリカの独裁者たちであることは明白であるからだ。

公共図書館のトップランナー「札幌市中央図書館」へ

生まれ故郷である北海道への出張。幼年期に過ごした札幌。アポイントの時間前に足を運びたかったのは札幌市中央図書館。路面電車にのって「中央図書館前」に向かう。2015-02-24 13.52.56途中の「西線11条」という駅の近くに父が勤めていた会社の社宅があり、幼稚園から小学生まで過ごした懐かしい街。

2014年3月まで出向していた一般社団法人 電子出版制作・流通協議会の活動を通じて札幌市中央図書館の淺野隆夫さんと知り合い、セミナーにも登壇いただいた。その内容はフリーライターの鷹野凌「本が売れなければ図書館の未来もない」―公共図書館電子化モデルの議論 というタイトルでeBook USER というサイトにレポートしている。

最近では「札幌市中央図書館、電子書籍の貸出サービスをスタート」というリリースがあった。

私も「変わりつつある図書館の現在」(「クロスメディア考現学」)というタイトルで淺野隆夫さんの日経新聞に掲載されたコメントを引用したことがある。

2015-02-24 14.01.31

「単なる、“本の館”として図書館を維持するのは無理」「利用者の役に立つ情報を集め、発信する拠点として図書館を再定義する時に来ている」

無料貸本屋と揶揄され、書き手や出版社からも敵対視されることもある公共図書館。札幌市民の協力、市内の出版社と連携をはかりながら実証実験を行い、推進してきた電子図書館への取組が現実のサービスとしてはじまっている。札幌市中央図書館に足を運び、市民から受け入れられ、愛されている公共図書館であることが伝わってきた。公共図書館のトップランナーとしての札幌市中央図書館。実際に足を運ばないと感じられない空気感というものがやはりある。

2015-02-24 14.01.43        切り株をモチーフにした電子書籍体験ブース

 

2015-02-24 14.22.47-1

実は淺野さんとお会いしてもフェイスブックのメッセージでも話題の大半は、音楽、ギターの話。ギタリストの淺野さんへのお土産はギブソンの弦。次回はギター持参で、夜はセッションしましょうと約束してお別れしました。

 

 

 

 

 

 

 

性の文化人類学(2)タブー視されていた性研究の歴史

文化人類学において現地調査(フィールドワーク)にもとづき、現地の人々の性行動を詳細に観察し、記述したパイオニアは人類学以外の分野でも周知のようにポーランド出身のイギリスの人類学者B・マリノフスキー(1884〜1942)である。ニューギニア島の東部沖にあるトロブリアンド諸島社会における思春期の女性の性に対するおおらかな(とマリノフスキーには感じられた)行動を記述した。マリノフスキーの性研究の狙いは、イギリス流の文化人類学の伝統である機能 –構造論を重視する調査方法にある程度則ったものであり、個人の性愛生活の実像を考察した先に、男女の地位に影響を及ぼす社会組織や経済活動といったものに目が向けられていた。つまり性行動に主軸をおき、個人の性生活をめぐる慣習、観念、制度などに留まるのではなく、婚姻、親族組織、世代、儀礼などのそれぞれの要素によって構成される社会の枠組みに研究の主軸がおかれていたのである。しかしながら、実際に性行動についての観察、情報の収集を行ったマリノフスキーはその困難さについて語っている。

いくら性行動に対しておおらかなトロブリアンド諸島の住民たちも「夫婦の性生活について知らせてくれる原住民はいないし、他人の男女の情事などについてちょっとでも口にすることは許し難い無作法な振る舞い」となるからである。同じくイギリスの人類学者であるエヴァンス・プリチャーズ(1902〜1973)は、性についての調査、ならびに調査結果を公表することの困難さや性研究を公表してこなかった反省、苦悩を表している。「アフリカ社会における研究は体系とか構造の中に埋没した、血と肉の通わない人間の姿しかない」と反省し、スーダンのアザンテ族の調査を始めてから40年以上を経てようやく、男女それぞれの同性愛に関する調査時のノート「アザンテの性的倒錯」(1973)と夫婦の性生活についての部分をまとめた「アザンテの性習慣についてのノート」(1973)を発表した。

アメリカの人類学において性研究に着手し、後のジェンダー研究、フェミニズム研究に極めて有意義な示唆を与えた女流人類学者としてM・ミードが上げられる。ミードは性行動そのものを調査対象としたのではなく、男女両性の生活や行動様式に反映される文化および気質の違いに関心を持ち続けた。「男性と女性」(1949)はその集大成であり、自ら現地調査した南太平洋の7つの社会における男女両性の役割とアメリカ社会を比較研究し、近代社会の様々な問題を浮かび上がらせた。そして人間の性行動は「プライバシー」の本質にかかわることであり、当事者以外のものが見たり聞いたりすることは忌避される事柄であり、調査研究は不可能であるとしている。こうしたミードの見解は当時の人類学界を代表したものであり、公式に研究対象として人間の性行動が取り上げられるのは1961年のアメリカ人類学会の研究会を待たなくてはならない。性行動の研究をタブー視し、民族誌から排除するという調査研究の手法に対する批判がようやく芽生えたのである。1965年に開催されたシンポジウムでは、性に関する調査がプライバシーの侵害になるなら、親族関係、宗教的実践、秘儀的知識について調査することだって同じではないかと問題提起された。さらに人類学者同士が調査地の性に関する話題を頻繁に口にしているのにもかかわらず、民族誌や研究論文といった公の場では性に関してまったく関心がないかのように「紳士ぶる」態度を強い表現で糾弾した。このシンポジウムは「人間の性行動−民族誌的連続性と変異」という報告書にまとめられ、これまでの性行動の研究を行ってきた人類学者の成果を集約し、さらなる性研究の実践を奨励している。こうした機運は1960年代以降のいわゆる性行為の社会的クーデターともいえる「性革命」の影響も見て取れる。

人間社会における性的志向性について、性的活動に寛容であるか、不寛容であるかで「性肯定社会」と「性否定社会」とに類型化した研究(Becker,G. 1984. The Social Reguration of Sexuality)がある。「性肯定社会」は、性的活動を推奨、助長するような価値、規範、態度を持つ社会でポリネシアのクック諸島にあるマガイヤ島が代表例としてあげられている。マガイヤ島では、性的活動を抑制することは身体的に害を及ぼすとみなしており、男性は相手を興奮させるために性器に身体(肉体)加工が施され、婚前交渉も推奨されており結婚するまでに10人以上の女性と性交渉を持つ。女性にとっては男性を配偶者に選ぶ基準はいかに強くエクスタシーに達しさせてくれてくれるかだという。また婚外交渉は公的には禁じられているが、夫が「性的義務」を果たさないのであれば夫以外の男性と性交渉を持つことも大目にみられる。一方、「性否定社会」の代表例としてメラネシアのアドミラル諸島のマヌス島が上げらている。マヌスでは性的事象すべてが恥と罪の文脈で解釈され、生殖を目的としない性交は不幸や病気や死といった超自然的な制裁を受けると信じられている。性に関する禁止事項はおびただしく、すべての前戯は禁止され、夫は妻の胸に触れることも禁止されている。また日常生活において夫婦が一緒に食事を取ること、接触して寝ること、さらに連れ立って歩くことも忌避される。また「性肯定社会」と「性否定社会」の中間形態として「性中立社会」(または「性無関心社会」)とし、性的活動を社会的に推進する態度と同時に性的活動を抑圧する働きとを併存して持つ社会を「性両義的社会」としている。「性中立社会」の事例としては極めて稀としながらウガンダのイク族を、「性両義的社会」の例としては、性に対して解放を進める「性革命」を推し進めながらも、性に対して保守的、抑圧的な勢力が併存する現代アメリカ社会をあげている。

2015-02-21 22.58.41      「未開人の性生活」(マリノフスキー 著  新泉社)