アメリカ合衆国とチェ・ゲバラ

2015-03-04 14.15.49-2電子書籍で読了しておりましたがいちばん大好きな本屋さん、神楽坂かもめブックスで「チェ・ゲバラ伝」増補版(三好 徹 著 文春文庫)を購入した。

さすが増補版だけあって「コンゴの日々」が加筆され、さらにチェ・ゲバラが1959年にキューバ使節団として来日し、広島の原爆慰霊碑に花束を捧げる写真も掲載されている。

その際ゲバラは、日本人スタッフに英語でこう言った。

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹がたたないのか?」

2013年にユネスコは世界記録遺産として「エルネスト・チェ・ゲバラの生涯と作品」の登録を発表した。

アメリカ合衆国は、すぐさま世界記録遺産登録に強く反対する声明を公表した。

理由は、チェが無数の無実の人々を拷問し殺害したからだという。

その言い分は間違いなく見当違いであろう。
アメリカ合衆国が主張する罪状に当てはまるのは、彼らが「味方」としていたラテンアメリカの独裁者たちであることは明白であるからだ。

公共図書館のトップランナー「札幌市中央図書館」へ

生まれ故郷である北海道への出張。幼年期に過ごした札幌。アポイントの時間前に足を運びたかったのは札幌市中央図書館。路面電車にのって「中央図書館前」に向かう。2015-02-24 13.52.56途中の「西線11条」という駅の近くに父が勤めていた会社の社宅があり、幼稚園から小学生まで過ごした懐かしい街。

2014年3月まで出向していた一般社団法人 電子出版制作・流通協議会の活動を通じて札幌市中央図書館の淺野隆夫さんと知り合い、セミナーにも登壇いただいた。その内容はフリーライターの鷹野凌「本が売れなければ図書館の未来もない」―公共図書館電子化モデルの議論 というタイトルでeBook USER というサイトにレポートしている。

最近では「札幌市中央図書館、電子書籍の貸出サービスをスタート」というリリースがあった。

私も「変わりつつある図書館の現在」(「クロスメディア考現学」)というタイトルで淺野隆夫さんの日経新聞に掲載されたコメントを引用したことがある。

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「単なる、“本の館”として図書館を維持するのは無理」「利用者の役に立つ情報を集め、発信する拠点として図書館を再定義する時に来ている」

無料貸本屋と揶揄され、書き手や出版社からも敵対視されることもある公共図書館。札幌市民の協力、市内の出版社と連携をはかりながら実証実験を行い、推進してきた電子図書館への取組が現実のサービスとしてはじまっている。札幌市中央図書館に足を運び、市民から受け入れられ、愛されている公共図書館であることが伝わってきた。公共図書館のトップランナーとしての札幌市中央図書館。実際に足を運ばないと感じられない空気感というものがやはりある。

2015-02-24 14.01.43        切り株をモチーフにした電子書籍体験ブース

 

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実は淺野さんとお会いしてもフェイスブックのメッセージでも話題の大半は、音楽、ギターの話。ギタリストの淺野さんへのお土産はギブソンの弦。次回はギター持参で、夜はセッションしましょうと約束してお別れしました。

 

 

 

 

 

 

 

性の文化人類学(2)タブー視されていた性研究の歴史

文化人類学において現地調査(フィールドワーク)にもとづき、現地の人々の性行動を詳細に観察し、記述したパイオニアは人類学以外の分野でも周知のようにポーランド出身のイギリスの人類学者B・マリノフスキー(1884〜1942)である。ニューギニア島の東部沖にあるトロブリアンド諸島社会における思春期の女性の性に対するおおらかな(とマリノフスキーには感じられた)行動を記述した。マリノフスキーの性研究の狙いは、イギリス流の文化人類学の伝統である機能 –構造論を重視する調査方法にある程度則ったものであり、個人の性愛生活の実像を考察した先に、男女の地位に影響を及ぼす社会組織や経済活動といったものに目が向けられていた。つまり性行動に主軸をおき、個人の性生活をめぐる慣習、観念、制度などに留まるのではなく、婚姻、親族組織、世代、儀礼などのそれぞれの要素によって構成される社会の枠組みに研究の主軸がおかれていたのである。しかしながら、実際に性行動についての観察、情報の収集を行ったマリノフスキーはその困難さについて語っている。

いくら性行動に対しておおらかなトロブリアンド諸島の住民たちも「夫婦の性生活について知らせてくれる原住民はいないし、他人の男女の情事などについてちょっとでも口にすることは許し難い無作法な振る舞い」となるからである。同じくイギリスの人類学者であるエヴァンス・プリチャーズ(1902〜1973)は、性についての調査、ならびに調査結果を公表することの困難さや性研究を公表してこなかった反省、苦悩を表している。「アフリカ社会における研究は体系とか構造の中に埋没した、血と肉の通わない人間の姿しかない」と反省し、スーダンのアザンテ族の調査を始めてから40年以上を経てようやく、男女それぞれの同性愛に関する調査時のノート「アザンテの性的倒錯」(1973)と夫婦の性生活についての部分をまとめた「アザンテの性習慣についてのノート」(1973)を発表した。

アメリカの人類学において性研究に着手し、後のジェンダー研究、フェミニズム研究に極めて有意義な示唆を与えた女流人類学者としてM・ミードが上げられる。ミードは性行動そのものを調査対象としたのではなく、男女両性の生活や行動様式に反映される文化および気質の違いに関心を持ち続けた。「男性と女性」(1949)はその集大成であり、自ら現地調査した南太平洋の7つの社会における男女両性の役割とアメリカ社会を比較研究し、近代社会の様々な問題を浮かび上がらせた。そして人間の性行動は「プライバシー」の本質にかかわることであり、当事者以外のものが見たり聞いたりすることは忌避される事柄であり、調査研究は不可能であるとしている。こうしたミードの見解は当時の人類学界を代表したものであり、公式に研究対象として人間の性行動が取り上げられるのは1961年のアメリカ人類学会の研究会を待たなくてはならない。性行動の研究をタブー視し、民族誌から排除するという調査研究の手法に対する批判がようやく芽生えたのである。1965年に開催されたシンポジウムでは、性に関する調査がプライバシーの侵害になるなら、親族関係、宗教的実践、秘儀的知識について調査することだって同じではないかと問題提起された。さらに人類学者同士が調査地の性に関する話題を頻繁に口にしているのにもかかわらず、民族誌や研究論文といった公の場では性に関してまったく関心がないかのように「紳士ぶる」態度を強い表現で糾弾した。このシンポジウムは「人間の性行動−民族誌的連続性と変異」という報告書にまとめられ、これまでの性行動の研究を行ってきた人類学者の成果を集約し、さらなる性研究の実践を奨励している。こうした機運は1960年代以降のいわゆる性行為の社会的クーデターともいえる「性革命」の影響も見て取れる。

人間社会における性的志向性について、性的活動に寛容であるか、不寛容であるかで「性肯定社会」と「性否定社会」とに類型化した研究(Becker,G. 1984. The Social Reguration of Sexuality)がある。「性肯定社会」は、性的活動を推奨、助長するような価値、規範、態度を持つ社会でポリネシアのクック諸島にあるマガイヤ島が代表例としてあげられている。マガイヤ島では、性的活動を抑制することは身体的に害を及ぼすとみなしており、男性は相手を興奮させるために性器に身体(肉体)加工が施され、婚前交渉も推奨されており結婚するまでに10人以上の女性と性交渉を持つ。女性にとっては男性を配偶者に選ぶ基準はいかに強くエクスタシーに達しさせてくれてくれるかだという。また婚外交渉は公的には禁じられているが、夫が「性的義務」を果たさないのであれば夫以外の男性と性交渉を持つことも大目にみられる。一方、「性否定社会」の代表例としてメラネシアのアドミラル諸島のマヌス島が上げらている。マヌスでは性的事象すべてが恥と罪の文脈で解釈され、生殖を目的としない性交は不幸や病気や死といった超自然的な制裁を受けると信じられている。性に関する禁止事項はおびただしく、すべての前戯は禁止され、夫は妻の胸に触れることも禁止されている。また日常生活において夫婦が一緒に食事を取ること、接触して寝ること、さらに連れ立って歩くことも忌避される。また「性肯定社会」と「性否定社会」の中間形態として「性中立社会」(または「性無関心社会」)とし、性的活動を社会的に推進する態度と同時に性的活動を抑圧する働きとを併存して持つ社会を「性両義的社会」としている。「性中立社会」の事例としては極めて稀としながらウガンダのイク族を、「性両義的社会」の例としては、性に対して解放を進める「性革命」を推し進めながらも、性に対して保守的、抑圧的な勢力が併存する現代アメリカ社会をあげている。

2015-02-21 22.58.41      「未開人の性生活」(マリノフスキー 著  新泉社)

「月刊群雛/創刊の辞」を歌う

今日はインディーズ作家を応援する「月刊群雛」の発行母体である日本独立作家同盟をNPO法人化するのにあたっての記者発表会。私は司会をつとめさせていただきましたが、月刊群雛と関わりをもったのはちょうど1年前の2月に月刊群雛の鷹野凌編集長が創刊号に執筆した詩(「月刊群雛/創刊の辞」)に勝手に曲をつけて、勝手に歌い始めたのがきっかけです。はじめて披露した電子出版交流イベントePubPub@吉祥寺での音源が残されておりまして、今日も記者発表前にエンドレスでBGMで流れておりました。どんなプレゼンよりも月刊群雛のコンセプト、メッセージが明確に伝わってくるんです。

月刊群雛/創刊の辞
作詞 鷹野凌  作曲 池田敬二

我々は雛だ まだくちばしの黄色い雛だ
ひとりではろくに餌をとることもできない
だから、群を作ることにした
ひとりではできないことも
みんなの力を合わせればできる気がする

我々は雛の群れだ
けれども、巣の中で親鳥をただ待ち続け
餌をくれと口を開けて上を向いている
だけの雛ではない

すくなくとも自分の両足で立っている
空へ飛び立とうと、両の手を懸命にばたつかせている

いつかあの大空を群をなして飛ぼう
そのために全力で走ろう 力いっぱい羽ばたこう
汗をかこう 繋げよう 広げよう

ここに我ありと大声で叫ぼう できる限りの努力をしよう
その先に我々が目指す青い大空があるはずだ

「ゲリラ闘争記」の曲を作りました。

「ゲリラ闘争記」

作詞・作曲  チェ・池田

世界のどこかで俺たちは 歴史と向かい合っている
自分を奮い立たせる言葉を探し出して
絶え間なく闘いつづけるんだ

恐れることなく闘い抜こう
今生きることが歴史になる

支配という鎖から解き放たれて俺たちは生きて行く
理不尽がまかり通る世の中だとしたら
迷うことなく闘いつづけるんだ

恐れることなく闘い抜こう
今生きることが歴史になる

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性の文化人類学(1)− 有史以来の謎としての性 −

大学時代の専攻は文化人類学だった。卒論のタイトルは「権力による性道徳の形成と人間の本質」。世界中には多様な民族、宗教、文化が存在するが、人類には普遍的な特性もある。食べること、寝ること、排出すること、喧嘩すること、セックスをすることなどなど。

しかし性の問題はデリケートであり、文化人類学や民俗学でも研究対象として取り上げられることは稀であった。私が在学中は日本語のテキストもほとんど無かった。 長年日本では「天皇制」と「性」は研究テーマとしてタブーとされてきた。しかし、「性」に関する認識の違いを相対的に考察していくことは文化人類学のテーマとして格好のテーマであると確信しています。 私の卒論は、学術的は評価はともかく、読み物として面白かったと評判だったので何回かに分けて私の卒論からトピックス的に紹介していきます。民族、宗教、文化、価値観の違いによる「溝」が絶望的に思える近頃の世相だからこそ、人間の多様性の中に普遍的な共通項や調和の鍵を見出してみたいという希望をこめて

人間がどのように「非存在」から「存在」へ移行するのか、またそうした現象をどのように認識し、秩序だてていけばいいのかは、洋の東西を問わず有史以来の謎であった。歴史の縁にいる我々もこうした謎に対して宗教的にも、哲学的にも、科学的にも暫定的な解答をそれぞれの時代、文化、文明の枠の中で与えているのに過ぎない。 「性」は様々な領域の問題に直結される。神聖な生命誕生のプロセスは宗教、神話の存在基盤に重大な意味を与え、倫理、道徳をはじめ、婚姻形態、法体系までをも形成する。神聖なものとしての「性」は、快楽としての「性」と表裏一体であり、生殖にいたらない性行為、同性愛、自慰、避妊、獣姦などは時代、文化、価値体系により激しく弾圧の対象となっていたこともある。また性交は肉体同士の密着した行為なために、世界中で問題となっているエイズのような感染症も避けられない問題として付随してくる。

「性」という日本の言葉は明確さに著しく欠ける。この「性」は、中国における「性善説」などに見られるように「生まれつき持っている心の働きの特徴」(「学研漢和大辞典」 藤堂明保 編)という意味を受け継いでおり、ラテン語の「割る」という意味のSEXUSを語源とする英語のSEXとこの「性」との完全なる一致を求めるのは土台無理がある。英語には使用する人と文脈により一様ではないが、少なくとも「セックス」、「ジェンダー」、「セクシュアリティ」と三語あるのに比べ、いずれも日本語では「性」という用語でしか表現できない。この三語を際立たせてみると「セックス」は「男女の区別のもとになる生殖器の構造および機能の差異と生理的差異の総称」でありいわば生物学的カテゴリーといえる。「ジェンダー」はもともと文法的意味合いにのみ使われていたが、1960年代後半頃から男らしさ、女らしさのように文化的、社会的に求められ、作られた男女性差による役割や地位、行動形式のカテゴリーを示してきた。「セクシュアリティ」は一番古い例として1800年の例文(OED)を上げていて植物、昆虫、動物の生態における有性生殖についてのみの狭義に使われていた。これが現在使われているような「性的能力を有すること、性的感情を持ち得ること」という意味、用法に近づいてくる例として1879年の医学書が紹介されている。こうして歴史を通じて性的活動、経験によるなんらかの概念が生じ、新しい意識が芽生え、一連の用語が形成されきたことは興味深い。

 

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2015-02-18 22.28.52         「性と出会う」(松園万亀雄 責任編集  講談社)

「ゲリラ闘争記」はじめました。

新しく自分の発信拠点として開設しました。

タイトルは「ゲリラ闘争記」と名付けました。

チェ・イケダ・ドット・コム(cheikeda.com) のドメインも取得。

自由闊達、縦横無尽に感じたことを活字、画像、映像、音楽で表現していきます。

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