マレコン通り El Malecón PVをYouTubeにアップ

2018年12月に初めて訪れた際にお世話になったキューバ人への感謝の気持ちをテーマにした「マレコン通り El Malecón」。私のキューバ滞在をテーマにドキュメンタリー映画「12月にキューバ会おう」を制作してくれた山本学監督にこの曲のPVを作ってもらいました。YouTubeにアップしています。

前半を日本語、後半をスペイン語で歌っております。




マレコン通り El Malecón

2018年12月に初めて念願だったキューバを訪れた。
キューバで開催しているイベント「アニメ手裏剣ジャパン」に招待してくれた主催者のマルセルをはじめ、たいへんお世話になりました。キューバ人たちへの感謝の気持ちを込めてこの曲を書きました。日本語とスペイン語で歌っています。

「マレコン通り」 作詞・作曲 池田敬二

カリブ海の島国で ピカピカの友情を見つけたんだ

遠くはなれた 僕とあなたを 一つの歌が結びつけてくれたんだ

また歌いにいくよ  またマレコン通りを一緒に歩こう

あなたの国の一番の魅力は ラム酒でも葉巻でもなく

地球のエメラルドと呼ばれる海の美しさでもない

それはあなた自身の 心の 美しさだ

また歌いにいくよ  またマレコン通りを一緒に歩こう

また歌いにいくよ  またマレコン通りを一緒に歩こう

El Malecón  – Keiji Ikeda

En una isla caribeña  
Encontré una amistad brillante

Una canción nos conectó a los dos 
aunque estábamos tan lejos.

Iré a cantar otra vez 
Caminemos de nuevo por el Malecón

El mayor atractivo de tu país  No es ni ron ni cigarro


Ni la belleza del mar,la que llaman esmeralda de la tierra 

Es la belleza de tu propio corazón



Iré a cantar otra vez 
Caminemos de nuevo por el Malecón

Iré a cantar otra vez Caminemos de nuevo por el Malecón

写真 岩切 等 Photo by Hitoshi Iwakiri

The Malecón – Keiji Ikeda

English translation of the lyrics.

On a Caribbean island

I found a brilliant friendship

A song connected me and you both although we were so far away.

I’m going to sing again 

Let’s walk again on the Malecon

The greatest attraction of your country is neither rum nor cigar 

Nor the beauty of the sea,what they call the earth’s emerald

It’s the beauty of your own heart 

I’m going to sing again

Let’s walk again on the Malecon

YouTubeにPVをアップ

ダウンロード、ストリーミングはこちらから

https://linkco.re/40uf7xV6

「加速する変動」キューバのドキュメンタリー映画との邂逅

1989年にはじまった山形国際ドキュメンタリー映画祭は隔年で開催される。

今年は開催年ではない代わりに「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京2016」新宿K’s cinema城西国際大学で9月17日(土)から10月7日(金)まで開催している。

学生時代に専攻していたのが異文化研究である文化人類学だったこともあって、テレビのドキュメンタリー番組やドキュメンタリー映画にもともと興味を示し、在学中の1990年代から「ラテンアメリカ映画祭」と銘打った映画祭を見つけては足繁く通っていた。ラテンアメリカの近現代史や「現在(いま)」を注意深く掘り下げることによって「先進国」と呼ばれる国々の傲慢さや世界的な搾取、不平等、矛盾などが明確に映し出されるようになるはずだという直感があった。

昨年の山形国際ドキュメンタリー映画際にも足を運んだがすべての作品を観ることなど不可能に等しい。(ちなみに私が昨年、山形で見た中でのベストは最優秀賞を受賞したチリ映画の「真珠のボタン」。)

だから、こうして山形で出会えなかったドキュメンタリー作品を開催年の翌年に東京で出会うことができるのは貴重な機会だと思って胸が高鳴った。

2016-09-25-16-20-08そして本日、出会うことができたのが「加速する変動」(Accelerated Development – In the Idiom of Santiago Alvarez  )だった。山形国際ドキュメンタリー映画祭では1999年のインターナショナル・コンペティション作品として上映。2011年の山形、2012年の山形 in 東京でも上映。1969年北米コロラド州デンバー生まれのトラヴィス・ウィルカーソン監督がキューバを代表するドキュメンタリー映画作家サンチャゴ・アルヴァレス(1919年〜1998年)の生涯を通 して、キューバだけでなく、ベトナム戦争やアメリカの黒人差別問題など激動の20世紀を描いている素材を使って激動の20世紀を映し出している。音楽の躍動感、リズムと共に常に政治的で時に教示的な 映像が繰り返し観客の心にこれでもかと突き刺してくる。

キューバ映画はドキュメンタリー映画といえども音楽の魔力を存分に活用しているものが多い。この作品もまさに音楽、リズムをフルに活用している。音楽がなかったらこの映画のインパクトは半減していたことだろう。この明るくリズムカルでありながらどこか物憂げで悲しくも感じられる音楽がこの映画に力を与えている。この作品は映画学校などでも教材として使われることが多いようですが末長く、世界中で観られることとなると確信します。映画作品との出会いは、まさに一期一会。生涯忘れないような作品に出会えたことに感謝の念を噛み締めています。

 

 

【初日】山形国際ドキュメンタリー映画祭

2015-10-09 21.59.52隔年で開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭。世界を感じるために山形に足を運ぶ。 2年前にはじめてこの映画祭に参加し原稿を執筆したことがありました。

クロスメディア考現学(9)山形国際ドキュメンタリー映画祭で感じたこと

本年の初日である2015年10月9日に観た映画があまりにも素晴らしく、山形まで足を運んだ元が十分にとれたと確信しました。

今日観た作品は以下の4本です。

わたしはここにいる
ペルーの三つの地域の音楽ドキュメンタリー。喜びも悲しみもすべて歌にする。どんな感情も歌にする姿勢に大いなる刺激を受ける。楽器そのものや音楽の旋律なども興味深い。人種が混じり合うペルーの庶民にフォーカスを当てていて、通過儀礼や文化人類学的な視点からも多くの収穫がある作品。

1968年のメキシコオリンピックの直前に起きた悲劇をイタリア人の女性ジャーナリストが文字通り命がけで制作したドキュメンタリー。「トラテロルコの夜 メキシコの1968年」(藤原書店)を読了していたので自由と民主化を求める学生たちへの発砲、暴力により250人以上の死者を出した悲劇「トラテロルコ 事件」を映像で目撃できたのは大きな収穫。
 
サッカーW杯の開催を間近に控えたサンパウロの経済、市民によるデモやストライキの様子を個人にフォーカスを当てて丹念にレポート。労働者の健全なデモ隊に向けて催涙弾を容赦なく打ち込む映像には怒りが沸き起こった。
 
冒頭から拷問される少年の映像や殺戮の現場といったショッキングなシリアの凄惨な映像が続けざまにスクリーンに投射される。フランスに亡命したシリア人とシリアのホムス在住のクルド人女性監督とのSNSのやりとりから生み出された作品。映像の過激さだけでなく、ドキュメンタリーの表現手法としても引き込ませる手腕が備わっている。それだけ伝えたいという命がけの想いが伝わってくる。

 

こんな日だからボリス・ヴィアンの「脱走兵」を歌う

b-vian-le-jazzはじめてパリに行った。25年前にアテネ・フランセに通っていた。フランス現代思想や文化人類学への憧れもあったが、フランス語を学びたいという気持ちにさせたのは、ボリス・ヴィアンの存在だった。

ボリス・ヴィアンが自分が原作を書いた映画「墓に唾をかけろ」の試写の最中に「死ぬほどつまらない」といって本当に心臓発作で死んでしまったのは1959年。

最近では日本映画「クロエ」、フランス映画「ムード・インディゴうたかたの日々」の原作者として名前が挙がることが多いが小説家としてだけでなく、詩人、劇作家、技師、SF画家、トランペット奏者、そしてシャンソン歌手、シンガーソングライターとしても名曲を数々残している。

ボリス・ヴィアンのシャンソンの中でも最も著名で今でも数多くの歌い手に歌われているのが「脱走兵 (Le Déserter )」だ。

YouTubeには日本語訳で沢田研二が歌っている動画もある。
フランスといえば自由の国の象徴のようなイメージがあるが、この「脱走兵」が発表された頃のフランスはインドシナ、アルジェリアといった植民地を抱えていたいわば戦時体制に近い状況だった。たちまち「脱走兵」は放送禁止となってしまう。

こんな詩である
大統領閣下 お手紙を差し上げます
お時間のある時に読んでください
たった今、水曜日の夜、召集令状を受け取りました

大統領閣下 私は戦争をしたくありません
罪のない哀れな人々を殺すために私は生まれてきたのではありません

あなたを怒らせたいわけではありませんが
でも言わねばなりません 私の決心は固いです
私は脱走します

もし血を流さなければならないのなら
ご自分の血を流しなさい
あなたはとんでもない偽善者だ 大統領閣下

私を探しているなら憲兵に伝えてください
私は武器をもっていないことを
そして引き金をひいて撃ち殺しても構わないと

 

強行採決があったこんな日だから、今宵は「脱走兵」を歌った。

Le Déserter Boris Vian「脱走兵」ボリス・ヴィアン

 

 

 

「SHOAH ショア」と「クリスタル・ナハト」

2015-04-19 09.52.54クロード・ランズマン監督の「SHOAH ショア」を渋谷のイメージ・フォーラムで観た。ナチスによるユダヤ人の強制収容、ホロコースト(大量虐殺)の全貌を当時の関係者の証言のみで構成されたドキュメンタリー映画だ。ナレーションやBGMも無く、当時の写真や記録映像などの挿入も皆無である。証言を引き出すインタビューと撮影当時の「現場」の様子が淡々と映し続けられていく。英語、フランス語、ドイツ語などの音声が飛び交い、字幕を追いながらイメージが膨らんでいく。その時間なんと9時間27分。タイトルの「SHOAH ショア」とは、ヘブライ語で絶滅、冒涜、破局の意味。

2015-04-19 22.05.04頭脳警察のPANTAがソロになって「クリスタル・ナハト」というアルバムを1987年に出した。「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」とは、1938年11月8日、ナチスによるシナゴーグ(ユダヤ教会堂)・ユダヤ人商店街破壊事件が起きた夜のこと。学生時代に聴いて衝撃を受け、いくつかの曲はカバーもした。「シナゴーグ」「ホロコースト」「ディアスポラ」という言葉もこのアルバムで覚えたと記憶している。

書籍「歴史からとびだせ」(JICC出版局 1989)の中でPANTAがこのように言っている。

「クリスタル・ハナト」というタイトルで、この内容なら日本でも出せる。ヨーロッパの話だからね。ところが、日本にとってのクリスタル・ナハトみたいなものを取り上げるとダメなんだよ。つまり南京、重慶、あるいは朝鮮人大虐殺、その辺の問題を、今レコードに出して市場に出すことはできないんだ。だから「クリスタル・ナハト」から、同時代のアジアへとスライドさせたい、引き寄せたいという気持ちもあったんだ。

「SHOAH ショア」もヨーロッパの話、遠い過去の話としてではなく、まさに現代の自分自身の身の回りに起こっていることとして受け止めるべきなんだと感じました。

 

 

 

ドキュメンタリー映画への期待 〜原一男塾長 new CINEMA塾 終了〜

3月28日(土)の最終回で昨年の4月からはじまった原一男塾長のnew CINEMA塾は終了した。皆勤賞ではなかったが都合がつくかぎり水道橋のアテネ・フランセに足を運んだ。これまで出会うことのなかった貴重なドキュメンタリー映画に出会うことがきたのは幸運な経験であった。年間を通してのテーマは「極私(セルフ)の系譜〜映像の中の欲望(わたくし)たち〜。

特に印象的だった作品を上げるとすると以下になる。

「ファザーレス」(茂野良弥 監督  村石雅也 主演)

「アヒルの子」小野さやか監督)

あんにょんキムチ」(松江哲明監督)

「家族ケチャップ」(工藤義洋 監督  牧野吉高 主演)

もともとこの講座に関心をもったのは2014年6月28日に開催された第三回「父との会話」というテーマでヤン・ヨンヒ監督の「ディア・ピョンヤン」が「エンディングノート」(砂田麻美監督)と共に取り上げられると知った段階で年間受講の手続きを済ませた。

私自身、実は大学卒業時に志望していた就職先はドキュメンタリー番組を作るためにNHKに入局することだった。社会人になってから今現在発病しているチェ・ゲバラ熱の萌芽が学生時代にあって、在学中に開催されたラテンアメリカ映画祭でエイゼンシュテインの「メキシコ万歳!」やブラジル映画「ピショット」を見て衝撃を受けたのがきっかけだった。ラテンアメリカを観ることで現代社会の実態、虚像が裏写しされるように感じ、それは象牙の塔的な学術的アプローチではなく、まさにドキュメンタリー映画の手法で現実社会に迫ることができるように当時の未熟な自分自身の浅はかな将来の展望だった。 2015-03-29 21.24.34 学生時代に購入して今も手放さないでいる書籍の中に「ゆきゆきて神軍」(原一男・疾走プロダクション  話の特集 1987)がある。ドキュメンタリー映画の金字塔と言われる「ゆきゆきて神軍」を学生時代に観た衝撃は今も忘れない。当時から原一男という存在は自分の中で大きな存在であった。

最終回にかわなかのぶひろ監督が胃がん、咽頭がんの手術を経て、十分に声がでないような状態でふりしぼるような声で語っていたことが印象的でした。

「画家が毎日デッサンするように、音楽家が毎日演奏するように、小説家が毎日文章を書くように、映画監督である私はこれからも毎日映像を撮影し続けていきます。」

表現者として生きるなら、「芸術家」(アーティスト)としての奢りよりも、この「職人」(アルチザン)的な日々の鍛錬というものがいかに大事かということを再確認した想いでした。 ドキュメンタリー映画というものは商業的に大成功することはどう考えても少ないでしょうから生涯を通じてやり抜いていくには生半可ではない強靭な覚悟がないと続けていくことはできない。自分のように志半ばですっかり別の道に進んでしまったものは、あくまでも「観る」側でしかありませんが、日の当たる場所では決して知ることができない、観ることができない「現実」を映画という表現手段の中に結晶化させるドキュメンター映画の数々は、今後も人々に重要なビジョンを与えてくれると期待している。私自身も受けた感動、衝撃、怒りを自分のフィールドの表現に爆発させていく決意を新たにいたしました。